【想い出日記】(亡き妻の)病気が発覚する

これは、想い出を振り返る日記です。

愛した妻なので、こいうことも忘れたくないので、記録しています。
この日、(亡き妻)文の誕生日、、、

<誕生日パーティーの日>

私の実家が、ホームパーティーをしようと、両親と食事、、、
気分良く終わり、、、、

帰って妻が、横になってから、急に転げまわり、
すごく痛がる。。苦しそうな痛み。。

夜中である。

救急で、病院に着いた時には、妻は落ち着いており、
レントゲンをとってもらい、その時の若い先生は、
『肋間神経痛』だと思います。
湿布薬をお渡ししますので、帰って大丈夫です!』

私たち、二人は、なんだ、よかったね。といいながら、
いつもどうり、手をつないで、仲良く、歩いて家まで歩いて帰りました。
タクシーで、帰ろうと思ったのですが、妻が歩きたいと!!

<翌日救急の先生から>

それから、翌日に、電話がかかって来た、
救急で担当してくれた、若い先生で、
『上の先生にレントゲンを再確認してもらった結果で、お話ししたい事があります、今日きてください!!』

二人は、ちょっと、動揺しながらも、『わかりました行きます。』

着いたら、窓口の人が、一階で、待っていてくださいと、言われ。
立ちながら、1時間以上も待ったと思います。

おそらく、レントゲンを見た結果を、どうするか、会議してくれていたのかもしれません。、、、待った一階で、大きな封筒を持った先生がやってきて、

話し始めた、、『レントゲンを経験豊富な先生にチェックしてもったら、重要な病気が見つかりました、、、病気の名前は言えないですが、その病気である可能性が非常に高く、その為に検査入院をすべきなのですが、当病院には空きベットがないので、紹介状を書くので、他の病院へ行ってください。』と。。。

それで、何度も、病名を聞こうとしたのですが、教えれないようなので、

そのまま、一旦、帰り。。。

私が調べる方法を探し、
『救急安心センター』というところを見つけ、事情を話し、相談にのってもらい、
住んでる場所などを聞いてもらったら、

『色んな科(外科、内科、だけでなく色々な専門の科)がある、大きな病院が良い』という事を聞き、一番お世話になった病院へ行くことになりました。

そして、妻と話してから納得し、電話して問い合わせすると、念のため、奥様側のご家族と一緒に、来てくださいと言われて、家族揃って行くことに。

<大きな病院へ>

妻側のご家族と、揃って、病院へ行き、
最初に担当になった、先生は、若いしっかりした、男性の先生
言いにくそうな顔で

先生:
『肺の癌で、、、、、、、、(説明)、、、、末期(4ステージ)、、、。』

私と妻家族の表情は、説明しきれないほどの、心の状態だったと思います。

妻:
『余命って、聞くことできるんですよね。』

先生:
『ご本人が、知りたいといえば、、、、、、、、聞きますか?』

妻:
『はい、聞きたいです。』
どんな表情だったのか、説明できないというか、真剣な顔なことは確かです。

先生;
『短くて、数週間、長くて、数ヶ月』

妻:
『数字で教えてくれませんか?』

先生;(悲しさを耐える顔つきで)
『短くて、3週間、長くて、6ヶ月』

妻:
冷静を保ちながら、うなづく。

お兄さん(妻側の):
『治療方法は、ないのですが?』

先生:
『抗がん剤があります、、、、、、、、、、、』

妻は、知っていた、抗がん剤の副作用が、どんなものか、、、、

妻(兄へ):
『抗がん剤はイヤだよ、副作用でしんどいのは、いやだ!!』

お兄さん(妻側の):
『(説得)、、、、、、、、』
妻家族も同意見

夫(私):
『妻の気持ちを一番大事にしたいです。』

お兄さん(妻側の):
『(説得)、、、、、、、、頼む!!!』
妻家族も同意見

妻は、お兄さんの気持ちを理解し、同意。。

そして、その日の病院は、その方法で、お願いし、帰る。

妻側の家族と、食事を外でしたが、、、普段仲のよく、
明るい家族が、さすがに、ほとんど、会話もなく、

私たちは、ご家族を送り、、、、

その日の夜、、、二人の会話は、
●抗がん剤の話

副作用がやはり、イヤで、しんどいのも、苦しいのも、
イヤだと、本音は、言っていた。

私は、しんどかったら、すぐ中断しよう。

『好きなように生きる方がいいよ!!』
って、言ったと思います。。。。

ちょっとだけ、沈黙し、、、、

私が、、、、泣き出した。
『夢なら覚めてもしいよね!!』
と言いながら、、、妻をギュッと抱きしめ、

妻も、ずっと冷静に我慢していたのか、その瞬間に号泣し

私は、『もう、テレビのドラマや映画を見てる場合じゃない、自分たちのドラマを生きていこう!!』

妻は、うんうん。と言いながら、泣いていた。

もう、会社を辞めていいよ、、、
もう少し、イイ待遇の仕事にぼくが転職するから!!!

といい、時期を見て、二人は、その時、働いていた会社へ事情を説明し、
妻は、辞め、専業主婦に、、、私は、新しい会社を探すつもりだったが、

勉強好きの私を知ってか、、、妻は『雇用保険で、職業訓練に行って良いよ!』
とまで言ってくれ、でも、訓練の試験は受けながら、就職活動はしていた、、、

3社くらい、面接をし、2社はあんまり、良い会社ではなく、、、
1社は、いいところだったが、断られた、、、、が、、、

社長が、覚えていてくれて、、、、訓練が始まる、前日に電話があり
(違う業務で)仕事が来まる。

<はじめての抗がん剤(点滴)スタート>

妻は、、抗がん剤治療のスタート。。(一番お世話になった、女性の先生)
妻のいない家は、寂しく、毎晩のように、面会に行ったり来たり、、

抗がん剤は、何クールか、打つ日が決まっており、最初は、
前向きに頑張っていました。。。

途中から、倦怠感などがあり、しんどそうでした。。。

<抗がん剤(点滴)を断念>

『やめたい』の一言で、やめました。

その後、なしの治療をスタート
先生は、妻のことが、可愛くてしかたのないようで、すごく、かわいがっていただきました。。。

その後、妻は、癌と向き合うためのお勉強、、、(本)です。

食事療法、などなど、、、

その間に、決まった日に検査、、、少しづつ、肺の半分に、胸水(肺の外の膜に水が溜まる)が出て来て、溜まりすぎると、肺を押しつけ、息苦しくなる症状の前兆が見えて来た、、、

最初のうちは、そんなにたまらなかったが、、、一年半くらい頃か、胸水がたまりはじめ、、、、
(あとは、リアルな治療なので、書きません)

<新薬が開発される>

途中、飲む抗がん剤(分子的治療薬)遺伝子レベルで癌に攻撃してくれるもの、妻が、たまたま、適合し、先生が勧めてくれた。。。

が、妻は、断固として、拒否。。。

しかし、水は、どんどん溜まる。。。

<新薬に挑戦>

そして、、妻が、先生に、承諾した。。
その薬は、妻が持っている◯◯◯遺伝子に適合した、分子的治療薬です。

飲んで見たら、びっくり、みるみる、元気になり、自宅からの通院ができるようになった。(胸水も、何処に?行ったのか?姿がほとんど見えなくなる)

その間の入院中は、妻は、自分が食べる物に苦しんだ時などは、人に聞いたり、研究したことを、周りの患者さんにも、教えたりして、元気な雰囲気を病室に与えて、本当に、先生にも患者さんたちにも気に入られ、人気者でした。

退院し、それから、先生に、旅行も良いと言われ、私抜きにでも、良いので、海外でも、どこでも、遊びに行きなさいと言って楽しんでもらいました。