【想い出日記】(亡き妻の)病気が発覚から二年目を振り返る

これは、想い出を振り返る日記です。

愛した妻なので、こいうことも忘れたくないので、記録しています。
この日、(亡き妻)文の誕生日で『病気が発覚して丁度2年』、、、

この2年目の一年間も、人生を楽しんでもらうことに専念してもらいました。


<同じように苦しんでるヒトに声がけしていた>
亡き妻は、抗がん剤で苦しんでる(特に食べ物に対して)ヒトには、声がけをしてあげてました。何故なら、今の副作用のほとんどない治療薬の以前は、副作用のある、治療薬をつかっていたので、本当に、気持ちがわかったので、

以前の副作用のある治療薬の副作用は、倦怠感や、味覚障害(おいしいものが美味しく感じない)、視覚障害(チラつき)、その他、など、あったのを覚えています。

自分の(前向きな)先輩には、自分の病気の悩みや生き方を相談し、自分のまわりに、悩んでいる方には、自分の経験上で、食べることで、体力がつくことを知っており、味覚障害がいかに、体力や気力を損なうかも、しっていた。

なので、どんなものが、食べやすいか?できる限り、お話したり、雑談に参加したりも入院中には、していたので、自宅療養期間のこの年でも、会える人には、あってました。

わたしも、(亡き妻が)入院中の時は、、、(亡き妻)苦しい時は、話し相手にも、もちろんなり、味覚障害で食べれるモノがない時には、とことん、つきあいました、病院(たまたま近い)を行ったり来たり、『着替えを洗濯』『食べれるモノ探し』最終、食べれるモノを見つけた時には、病院の近くのスーパーのキッチンの職員さんに、相談して、妻の為でもあり、癌と向き合った病院生活をしている人の為に、こういうのを、作ってほしいって、頼んだの覚えています。

<わたしのはじめての台湾旅行>
2012年12月28日、妻と妻の幼馴染は、先に台湾へ、
私たち(夫どうし)は、仕事だったので、遅れて、関空待ち合わせで、
2012年12月30日、男二人で、台湾の互いの妻の元へ向かい、合流。
小籠包等、台湾の食を楽しみ、年末年始は、TAIPEI101の有名な花火を4人で鑑賞し、楽しい海外4人旅行となりました。

<女子沖縄旅行へ>
2013年02月06日
、(今は亡き)妻は、大学時代の仲の良い女友達どうしで沖縄(那覇)旅行へ行ってはりました。友達と色んなとこへみんなで行ったりしてはり、楽しんではりました。

<再び胸水が溜まりはじめる>
2013年03月19日
、(今は亡き)妻が(分子的治療薬)を飲み始めて1年くらいかな、いずれ、薬が効かなくなることは、聞いていたのですが、胸水が再び増え始め、胸水が溜まりやすくなっているので、息苦しくなりやすく。(胸膜癒着)手術を行ってもらいました。

この手術は無事できて、胸水がたまりやすい側の胸膜を癒着さてもらったので、胸水がたまらなくなりました。術後、何週間か、入院中、私は、毎日、LINEで連絡し、必要な物、食べたいモノを届け、元気のない時は、ラインスタンプで笑わせたりしていたようです。

<入院中に今後の治療方法を>
2013年03月19日
、治療の話しは先生から二つあったのが、LINEの記録に残っていた、

①とある大学病院で(分子的治療薬の二つ目)を治検(新しい薬)で試してみる
②現在の病院で抗がん剤を休んで(リンパ球点滴)をする。

どちらかを選ぶ話しでした。先生は、若い妻をいつも可愛がっていただき、女性どうしで、先生も同じような年なのか?いつも、真剣に色々としらべてくれていて、妻のふざけた会話にも、軽く反応してくれたりする方でした。

入院生活は、妻は、楽しんでおり、前向きに、病院食を楽しみ、別に食べたいものは、私が(先生がOKしていた食べ物)仕事帰りに、洗濯物をリュックにつめて、スーパーへ買い物をして病院に行く毎日でした。

2013年04月02日、治療方法をどちらかに早く決めるように先生から言われたので、LINEを使って、私の意見も聞きながら、(私は、前の分子的治療薬が飲み薬なら、そちらにしたらどう?と伝えていた)先生の説明が聞けるなら、一緒に聞きたいと私が言っていた。が、LINEで、綿密にふたりで話せていたので、治療方法は、先生と二人で決定した。

2013年04月07日、一旦、退院。前日に、『迎えに来てね』ってLINEであった。
土曜日だったので、迎えに行けた。久々のお家なので、嬉しそうだった。

<とある大学病院へ(分子的治療薬)治検へ>
2013年04月07日、大学病院に一人で行きはりました。自分で歩け、話せ元気な状態なので、心配しなくて良いと、説得してくれて、ひとりで、いきはりました。。
『違う病院だと、面白いね!!』ってLINEきてました。
必要な物は、遠くなったので、妻側の近所の親戚のおばさんに、夜に預けて、持って言ってもらいました。
1日目は、◯◯や、疲労感は、あったようなので、前回と違い、軽い副作用があったが、彼女は我慢できたのは、食欲があったことだった。

2013年04月24日、実は聞いてはいたのだが、飲み薬で今まで見る、カプセルより、数段大きいサイズを5カプセル飲まないといけないという現実が、どんなものか、理解できてなかったのだが、写真を送ってくれた、なんと!!!
1カプセルが大人の小指の第二関節くらいの大きさであったのでした。
ちょっと、いや、かなりびっくりした。

しかも、2時間半して、ハイタらしい。
なんか、心配になり。病院へ行ったら、なんと、自然に囲まれたいいところで、妻は気に入っていたが、薬については、気に入ってなかった、病院についたら、中庭まで、出て来てくれて、お話しし、、、。

病室まで、案内してくれて、窓からの景色も良い。

その後、先生が来た、即座に、
私:『先生、このカプセルは大きすぎるね、中どうなってるんですか?』
先生:『中はほとんど空洞で、薬は小さいサイズのカプセルくらいしか入っていないです。確かに、飲みにくいですよね。』
私:『小さいのに入れ替えれないですか?』
先生:『治検なので、方法は変えれないんです。すいません。』
私:『中が空洞だったら、普通に、物理的に、上に浮きますね。』
厳しいこと言ってしまったかもしれないが、妻の辛さを考えると、、、言わずにはいられなかった。
先生:(少し困った顔)『そうですよね。』認めた。。。
まあ、治検は、開発したてで、新しい薬を特別に、使わせてもらえる仕組みの代わりに、検査結果を報告できるように、患者が協力する仕組みで、治療費がかからない仕組みなんで、、、。私たちも、先生の事情は理解していたので、あまり厳しくは言わなかった。

2013年04月27日、妻側のお母様に迎えにきてもらい、治療断念。そうですよね。大きすぎるカプセル。飲めないですよ。。

<ふたたび、元の病院へ>
2013年04月28日、もとの近所の病院へ、通院での治療スタート。
LINEのトーク履歴を見ながら、思い出していますが、、、通院で、
私と小旅行や、外食、女友達どうしでも、ランチしたりと、
治療受けながらも、元気に楽しくすごしていたようです。
何度か、検査入院はしてる日が月一回くらいあったようですが、基本的に元気にあそんでくれてました。

2013年09月12日、先生の協力と、妻の頑張りの結果、胸膜の腫瘍は少し小さくなってきていたことが、LINEトークで残っていた。その時に飲んでる薬は、効いてるということでした。

<とにかく小旅行も大きな旅行も楽しんでもらった>
2013年10月05日
、二人で、徳島旅行(自転車も借りて運転できるくらい元気。)
2013年10月12日、四国うどん食べに、妻幼馴染夫妻と小旅行(元気でした。)
2013年10月28日、妻は女どうしで、カンボジア旅行へ(元気にしてくれています。)

<とにかく二人の時間も楽しんだ>
わたしは、定時で帰れる工夫をし、一緒に家で食事、日によっては、
居酒屋のワタミで、待ち合わせし、外食を楽しんだり。
外(映画館)での映画鑑賞や、ほんとに、ふたりの時間も大切にしました。

<この頃から記録を考えていた>
以前のこの(amanone.com)の自分のこのサイトは、音楽活動の為に友人がサイトを立ち上げてくれた、そのブログのアップを毎日するように、勧められ、毎日更新しつづけたら、サーバーがいっぱいになり、サーバーの引っ越しをしたら、ブログが使えなくなり、そこから、ブログ更新がとまっていたのを、このシステム(ワードプレス)を、見えないところで、新しいサーバーにアップして、新いしサイトの準備をしていたのですが、、、その頃、音楽活動は休止していたので、何か、この、妻のこの経験を記録できないか?と思い、フログ更新の練習をしていました。。。まさか、過去日記として、使うことになるとは思いませんでしたが、、、、誰か同じような辛い思いをした人のために、今になって、書くことにしました。人間の脳は、覚えることと、忘れることの機能をわけているような気がして、、、、悲しい出来事があったら、楽しいことや、勉強したいことの記憶に置き換えるような気がして、、、残そうと、思いました。

そのための準備を、この期間から、予測をしていたのか、システムになれるために、更新をテストでしていました。

<今年も、無事に誕生日を迎えた>
2013年11月1日
に、この年も、無事に妻の誕生日を迎えることができました。