【想い出日記】文(亡き妻)緩和病棟へ

これは、想い出を振り返る日記です。

2015年8月26日、緩和病棟へ連れて行きました。

<夜の出来事から>
症状は、前の日の晩に(仕事で)疲れて(私が)自然に寝ていて、
起きてる気配を感じ夜中に起床し、、

いつも、ご飯食べている机で、妻が暗がりで考え事、
多分、その時には、本人が気づいていて、考え込んでいたんだろう。

さすがに、遅くまで起きているのを見かねて、
抱きかかえ『あやちゃん、寝ていいんだよ!』って優しく。
ベットに、、、一瞬、寝たくないような、そぶりがありながらも、

安心して、寝てくれましたら、今思うと、寝るのが怖かったのかと、、、

<翌朝の変化に、、、、>
翌朝、この日(8月26日)眠そうな妻に声かけると、
私は、変化に気づいた、、、

話している言葉が、
相当、スマホを(水没させた)気にしていたのか、
よく聞くと、その事を話していたのだが、、、
言葉は、その時は、家庭用の酸素吸入器を使い始めていて
(機嫌良く、使っていた)

そのことを機会の設定をはなしながらも、違う違うっって、、、
言っていたので、、、、????
『あやちゃん?、スマホのこと??』

よっぽど、(代替え機は持っていた)自分の端末(修理)を
心待ちにしていたんだろうと思います。

私は、とうとう、脳に転移した病気が、、、、(涙)。。。

(亡き妻の)お母様に電話し、急いで来てもらい。
話し合いし、救急に来てもらった。

一瞬、嫌がったが、私の一声で、安心し、病院へ

<今思えば、、、>
(無くなってから、落ち着いて、家の中を見ると、本人は、、、もう、記憶が曖昧になってるのが気がついていてから、身の回りの生活機器に、使い方をシール貼ってくれたり、、、カード類をまとめていたり、『今、書きながら、泣いてます。』引き出しに、入ってるもの、書いてシール貼ってくれてたり。冷蔵庫の物に賞味期限を書いてくれてたり、いっぱい、俺のために、、、、。困らないように。。。きっと、記憶が少しづつ、、、、、なんだろうね。。。涙。。。)

<救急で搬送されて病院へ>
病院に着き、救急の朝。。。妻は、処置室へ、、、

私とお母様は、、、先生とお話、、、

気になり、処置室に行くと、妻は暴れていた、、
私が落ち着かせて、安定剤を打ってもらった。。。

<もう、僕らのことは、、、>
お母様に話した、、泣きながら、、
『このまま、(あまちゃん)(おかあさん)って言ってくれなくなり、ぼくらのこと、忘れてしまうんだろう。。。(涙)』本気で、泣きそうなのを、こらえながらの涙だった、さすがにお母さまも、涙した。

その日のうちに、緩和病棟の先生が来てくれて、病棟の仕組みの説明。。。
もともと、緩和病とのことを調べて知っていたので、、説明は理解し、、、

お願いした。

<家族どうしで、協力した数週間>
そこから、(9月6日まで)病棟で、お母様のご家族と協力して、3人泊まり込みで、看病しました。

●着替えの洗濯は、自宅へ帰ってし
●ほとんど、泊まり込み
●食事は看病側はそろってし
●わたしは、実は、亡くなるまで、ほとんど(少しは睡眠し)寝てなかった。

妻は、1日目は、言葉の言ってることと、話したいことが一致しない。
ですが、
何日か、一生懸命、看病してる間に、病院の人の勧めと、妻のお友達のお願いもあり、、、昼間に、仲の良かった、友達と会ってもらった。

その時、、、会う前に、『本人って、理解しない会話になるので、ごめんね。』
って、断っての面会に、、、しかし、、、、。

時間をずらして、一人一人お話してもらい。妻は、、、、会いたかったのだろう。。。名前は言わなかったが、『あぁ!!って、、、』嬉しかった。。。誰かは、わかるんだな。。。そして。、、、お母様が疲れるほど、何人もの人にあってもらい。

<ちょっとした奇跡がおきてくれた>
最後の方に、小さな、奇跡をみせてくれて、、、昼間に、(私側の)母が来てくれて、会って話してくれて、一緒に、妻のがん友達も一緒に、お話し。。。
その後くらいに、突然、、、『あまちゃん』『おかあさん』って、読んでくれた。

その時は、驚きと感動で、涙が出ました。。。

お母様も、、、泣いて喜び。。私も泣いた。。
病院の看護師さんにもお話(説明)すると、めずらしいことなので、
病棟の偉い先生まで、きてくれて、関心してくれた。

<大声であの子は、嬉しい言葉を夜中の病室で>
その晩、妻は、寝てくれず、、起きていた時に、
寝てほしい気持ちで、耳元で、私が、妻に、いつものように『かわいいね』って言ったり朝、していたのですが、今回は、小さな声で耳元で『だいすきだよ!』って、言ったら、、、

夜中なのに、、、夜中の病室で、大声で、『だいすき〜〜〜〜〜!』って言ってくれた、さすがに大声だったので、嬉しさより、近所迷惑を気にして、『シ〜、、、夜だからね。』でも、本人は、嬉しそうだったのか、ハグしてくれて。。なかなか寝てくれなかった。落ち着いて、寝てくれてから、、、、デイルーム(別の休憩場所)へ行くと、看護師さんが来てくれて、大丈夫ですか?話をすると、泣いてくれて、思わず、思い出して、嬉しくて泣きました。

<妻が待ちにまったスマホが帰って来た>
入院中に、こんな出来事も、昼間に、、連絡があり、、、『スマホの修理検査が帰って来ました。』早速、預けていたところへ、行く前に電話で相談。本人が入院中で行けないことを、、、確認書類を用意してほしいと、、、、用意して?覚えてないですが、準備して、携帯ショップへ、、新しい端末にデータを入れ替えしなくてはならず、それも、それも、やってもらい、、、この手続きで、何回か行ったのかも、細かく覚えていないのですが、、、その都度、たまたま、(偶然)同じ担当の人で、、、私がが、疲れ果ててるのがわかったのか、(ほとんど寝てなかったので)『大丈夫ですか?』って言ってくれたのは、嬉しかった。

最後の入れ替えの新しい端末を使えるようにしてもらい、受け取った日

たまたま、そのビルは(台湾フェア)だったのを覚えています。
付いて来てくれた、妻の友人と、台湾(4人で)行ったね。って話したのを覚えています。

そして、スマホは、(脳に転移していたので)取り乱すといけないので、帰って来たことはしばらく話さずいてたのですが、、、亡くなる前日の昼間くらいに、耳元で、伝えたら。。。安心したのか、ホッとしていました。

<そして、、、>
その翌日、緩和病棟で、静かに、お母様の前で、眠るように、、、、、、。

私は、金縛りにあったように、近くで、起きていたのに(疲れて)動けませんでしたが、しずかに、あまり苦しまずに、行ったのは、良かったと思います。

<偶然にも、2017年の同じこの日に、、、
※この緩和病棟に入った日程(2015年8月26日)この日をメモしていました。
そして、2017年8月26日偶然すぎますが、一人で、お墓まいりに行くつもりで予定していたのを、(亡き妻)のお母様ご家族と合計、私と4人で、そろって、行くことになり、、、、当日、カレンダーを見て驚いた。。。この日、そうだったんだと。。

お墓参りの後、食事をご一緒し、ご丁寧に、わたしのことを、褒めてくださり、
私が、結婚生活の六年間の短い期間だったけど、濃密に、娘を楽しませてくれて、本人は、本当に楽しんでた、ありがとう。あまちゃんで良かったって。

また、娘の事を想い続けてくれるのは、嬉しいけど、もう、あまちゃんの人生だから、新しい人に出会っていいんだよ!って、言ってくれました。そんなことまで、気にしてくれて、声に出して言ってくれるのは、本当に嬉しかった。

<亡くなった日とほとんど同じ日に>
お花参りの後のお昼の食事会をした場所は、妻が好きだった(小籠包のお店)で、妻が亡くなった(2015年9月6日)の翌日にオープンしたお店を選び、お連れした。それも、喜んでくれて、ほんとうに、よい会食になりました。

お母様は、大事な娘を亡くした気持ちを打ち消すように、いつも以上に、元気にふるまってくれましたが、心の中は、ほんとうは悲しい気持ちだったのだろうと想いますが、本当に、明るく生きようとしてる行動や気持ちに元気をもらえました。

それが、最近あったことです。